コシャマインとシャクシャインの違いについて分かりやすく解説します。
コシャマインとシャクシャインと言えばアイヌ三大蜂起(ほうき)の中の2つです。
コシャマインとシャクシャインの違いについて解説する前に、このアイヌ三大蜂起(ほうき)を知っておくことが大事なので先に解説しておきますね。
因みに!
蜂起(ほうき)とは、ハチが巣から一斉に飛び出て攻撃する様子に例えて、大勢が力に任せて攻撃する時などの時に使う言葉です。
アイヌの三大蜂起とは『アイヌの歴史上とても大きな意味のある戦い』ベスト3のようなものです。
★アイヌ三大蜂起は、この3つ
1457年 コシャマインの戦い
1669年 シャクシャインの戦い
1789年 クナシリ・メナシ地方のアイヌの蜂起
他にもアイヌの戦いは、いくつも有りますがこの3つ戦いがアイヌの歴史で重要な戦いと言われています。
『コシャマインの戦い』と『シャクシャインの戦い』は、このアイヌの歴史上とても大きな意味のある戦い』ベスト3の内の2つと言う訳です。
まずはコシャマインとシャクシャインそれぞれのざっくりとしたスト―リーを分かりやすく解説していきます。
目次
コシャマインの戦いが起きた原因はモンスタークレーマー?
コシャマインの戦いは1457年に起きたアイヌと和人(シサム)の争いです。
シサムとは!
シサムとはアイヌの人がアイヌ以外の民族を呼ぶ時に使う言葉です。
日本、隣人という意味です。
コシャマインの戦いは、一言で言うとモンスタークレーマーが返り討ちにあった戦い…です。
どういう事かと言いますと、今の函館空港付近、1457年当時の志濃里(しのり)という場所でアイヌ人青年が鍛冶屋に刀を注文しました。
この鍛冶屋はシサム(和人)の鍛冶屋です。
で、出来上がった刀を見たアイヌ人青年が、その出来栄えの悪さに鍛冶屋に文句を言ったのです。コレが私の私見のモンスタークレーマーの部分です。本当は文句を言って当然だったのかもしれません。
ただこのクレームを言われた鍛冶屋が逆ギレして、アイヌ人青年を殺してしまったのです。仮にモンスタークレーマーであっても、殺してしまってるので、悪いのは鍛冶屋ですね^^;
コシャマインの戦い将軍はだれ?
クレームが正当だったのかどうかは別としてアイヌ人が殺された事を知った道南のアイヌ人が一斉に立ち上がりました。
当時アイヌ最強の大将コシャマインが、アイヌ連合の将軍となり次々とシサムの拠点を襲ったのです。
仲間の無念を晴らすため立ち上がるコシャマインってカッコいいですね^^
しかもコシャマインのアイヌ軍はとても強くシサム(和人)軍を次々と倒していきました。
当時、道南に十二館あった和人勢力をまたたく間に10館も落としていったんですよ~。強いですよね。
道南十二館とは!?
道南十二館とは市場のようなもので交易活動の拠点を一つづつ『館』と呼んでいました。当時、道南地方には12拠点あったのです。
道南地方には12拠点
1.志苔館
2.宇須岸館(箱館)
3.茂別館
4.中野館
5.脇本館
6.穏内館
7.覃部館
8.覃部館
9.禰保田館
10.原口館
11.花沢館
12.比石館
ただ残り2館の時、花沢館の客人として宿泊していた武田信広(たけだのぶひろ)という和人にコマシャインが討たれてしまいます。
コシャマインの戦いの場所はどこ?
このようにコシャマインの戦いの場所は転々としていますが、コマシャインが討たれてしまう最後の花沢館がコシャマインの戦いの場所と言われることが多いんですよ~。
地図ではこちら。
花沢館で大将を失ったアイヌ軍は、そのまま敗れてしまいます。
どうですか?完全に私見も入れたコシャマインの戦い、何となくイメージできました?
登場人物はアイヌ人青年、鍛冶屋、コシャマイン、武田信広です。
アイヌ人青年をモンスタークレーマーなんて言ってしまいましたが、被害者な訳です。スト―リー上そうしたほうが分かりやすいと思い書いております。
御免なさいアイヌ人青年^^;
コシャマインの戦いはその後80年続くアイヌと和人との争いの幕開けになった戦いと言われています。
コシャマインの乱語呂合わせ
最後にコシャマインの乱語呂合わせを作ってみました。
『いいよ(`^´)こんな鍛冶屋』コシャマイン
1457年 コシャマインの語呂合わせです^^;
どうでしょうか?
シャクシャインの戦い簡単スト―リー
シャクシャインの戦い簡単に解説していきます。
シャクシャインの戦いは一言で言うと騙しあいの戦いです。
騙して、騙され疑心暗鬼になり、それが発端で戦いになったりするのが特徴です。
シャクシャインの戦いは、もともとはアイヌ同士の痴話喧嘩でした。日高町門別町(ひだかちょうもんべつ)と新ひだか静内(しずない)のアイヌ同士の漁猟圏をめぐる争いでした。
因みに!
アイヌ語地名で日高町門別をパエ、新ひだか静内をシプチャリと言います。それぞれの村には首長がいます。
パエの首長の名前はオ二ビシと言いシプチャリの首長はカモクタイン、副首長がシャクシャインでした。
ちょっと整理しますと、こんな感じです。
アイヌ語地名 | 首長の名前 | 副首長の名前 |
パエ | オ二ビシ | |
シプチャリ | カモクタイン | シャクシャイン |
1648年シャクシャインがオ二ビシの部下を殺すという事件が起きます。当然報復を考えるパエ側のアイヌ人を、松前藩が間に入り両者の仲を取り持ちました。その後も争いが起こるたびに松前藩が間に入り仲裁していきます。
この頃、松前藩は商場知行制(あきないばちぎょうせい)という制度を作っていました。
商場知行制(あきないばちぎょうせい)とは!?
簡単に言いますと商場を設けアイヌと交易するにはそこのみとするルールです。
松前藩はアイヌと和人の交易を自由にさせず、決めた場所で交易させた訳です。
メリットはアイヌや和人から交易ごとに税を取ったり、場所代などを徴収していたのです。
アイヌにとっては税は取られるは、商売の相手から値段を叩かれるはで踏んだり蹴ったりの制度だったわけです。
逆に松前藩にとってはアイヌは大事な利権であり、そのアイヌ同士の紛争は松前藩にとって死活問題になる訳です。
なので松前藩が仲裁に入っていたということです。
ただ、そんな松前藩の仲裁もむなしく、とうとう1668年4月オ二ビシが殺されてしまいます。
首長を失ったパエのアイヌは松前藩に助けを求めに行きますが、その帰りに助けを求めにいったアイヌが不可解な突然死をしてしまいます。
この突然死をアイヌの人たちは松前藩の毒殺と思ったのです。
もともと商場知行制などで不満があったアイヌにとってシサム(和人)に対し一気に不信感が強まります。
そして『このままではシサムにアイヌが滅ぼされる』と反シサム連合を立ち上げたのでした。この時アイヌ群の大将がシャクシャインです。
アイヌ同士の痴話ケンカから対シサム(和人)戦争へと方向転換していくわけです。
シャクシャイン率いるアイヌ連合は千島列島のサハリンのアイヌ人まで参加し、総勢2000人規模の大連合になりました。
シャクシャイン率いるアイヌ民大連合が松前藩に襲い掛かかり最初はアイヌ群優勢でしたが、松前藩の分裂作戦や鉄砲を武器にした戦術などで徐々に松前藩勢の優位の展開となっていきます。
そのまま、松前藩優勢で和議となり、アイヌの宝物を差し出すことでシャクシャインの命は助ける条件で和解することになりました。
ただこれは松前藩が仕掛けた罠で、和解の宴の席でシャクシャインは松前藩に殺されてしまいます。
絶対的な指導者を失ったアイヌはシャクシャインのチャシ(砦(とりで))も攻め落とされてしまい、この卑怯な作戦で負けてしまいます。
結局シャクシャインの蜂起を松前藩が鎮圧したという図式になります。
シャクシャインの死因
このように、シャクシャインの死因は松前藩による毒殺でした。もう少し具体的に言いますと1669年10月23日松前郡指揮官佐藤権左衛門の策略で新冠町(にいかっぷちょう)の松前郡陣所にて毒を盛られ殺害されたのです。
これがシャクシャインの最期となります。
!
新冠町(にいかっぷちょう)はアイヌ語でピポクと言います。
コシャマインとシャクシャインの違い
いかがでしたか?スト―リーで見ると、コシャマインとシャクシャインの違いは一目瞭然ですよね^^
起きた時期も、登場人物も蜂起原因も全然違う訳です。
ただ共通してるのはアイヌ対シサムの図式です。そしてそれぞれのアイヌの大将の名前がそのまま蜂起の名称となっているんですね~。
語呂合わせとか、たまに可愛い絵とか出てきて楽しく覚えられました!
コシャマインとシャクシャインの区別がわかると、スッキリしますね(^ω^)
コメントありがとうございます!お役にたてたようで嬉しいです(^ω^)わざわざコメントを書く行動に感謝します!!
アイヌ三大蜂起は、ちょっと、理解に来るすむところがありますね。
和人は酷いと語られる物も見ますが、何故、自前で鉄器を作るようにならなかったのか。
日本刀は、実際の戦闘では、飛び道具に叶わないので、槍のように金属部の短い物を作るとか、鉄製の鏃(矢じり)なんか、
自分らで作れるようにしなかったのか?
ずっと、しいたげられて、不思議。
これは、アフリカの奴隷貿易と同じ構造?
(当然、程度の差を考えないと、大きな間違いを犯す可能性はあるので注意・・・和人アイヌ間の憎しみとか)
部族間の争いがあり、和人に味方するグループが有って、まとまらなかった?
でも、日本刀まではいかなくても、作れなかったのか?この時代、芸術品でなければ、製法なんて分かっているはず。
部族間の争いが原因だとしても、それならそれで、勝ちたい部族は鉄器を作ろうと思わなかった?
コシャマインの戦いは、最後は弓の戦いで負けてる。
江戸時代は、アイヌ側も鉄砲があったけれど数が足りなかった。ロシアから買うのは考えなかった??
違星北斗というアイヌ歌人が、悩み苦しんだのは、安逸の中に生きて変わらなかったことだと思います。
アイヌに関することは、分からないことが多いですね。
ソクラ鉄さん!コメントありがとうございます!
スクラ鉄…哲学的な名前ですね^^;
ですね~。アイヌの歴史は分からないことばかり。
文字の継承があればもう少し分かったのかもしれないなどなど色々言われてますが…。
私も和人とアイヌの関係などなどもっともっと知りたいと思ってます。
もし、面白い情報有れば教えてください!
まずはありがとうございました!!